谷川村(近世)

江戸期~明治22年の村名。日根郡のうち。寛永19年幕府領,寛文2年大坂城代役知,貞享元年からは常陸土浦藩土屋氏領。村高は,四郡高附によれば正保2年1,170石余,「天保郷帳」では1,241石余,「旧高旧領」では1,245石余。「五畿内志」には「たかわ」と見える。谷川港は慶長年間桑山氏勝により豊国崎寄りに開かれたが土砂の堆積のため延宝3年から元禄2年に観音崎寄りに新港を開いた。同港は漁港のほか和泉瓦やその燃料用薪炭の積降しでにぎわった(全志5)。「和泉名所図会」には新旧両港が見え,「入船多し,浮遊女の家ところところに見へて,三弦の音浜風に音信て面白き湊なり」と繁華の様子を記す。当村は東畑・西畑両村と東川・西川によって結ばれ,関係は古くから密接で,寛永4年の絵図では,西畑村・東畑村および紀州側の数か村とともに1つの山郷を組織している(東畑区有文書)。嘉永7年ロシア艦ディアナ号が大坂湾に現れ,文久年間には沿岸海防のため豊国崎と観音崎に砲台が築かれた。神社は産土神社。寺院には天台宗興禅寺・古義真言宗光明寺(理智院)・浄土宗常見寺・浄土真宗本派正教寺がある。興禅寺は仁寿年間慈覚大師の開創と伝え,天正2年の兵火に本尊を残して全焼し,明暦元年に再興されたという(全志5)。また,光明寺は理智院と呼ばれ聖武天皇勅願で行基開創と伝える(全志2)。明治9年の人口1,789。同14年大阪府に所属。同22年多奈川村の大字となる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7384351 |