丹南藩(近世)

江戸期の藩名譜代小藩元和9年,大番頭高木正次が大坂定番となり,相模・武蔵・上総・下総・近江国内で9,000石であった所領を1,000石加増の上,河内国丹南郡内22か村1万石に移され,丹南に陣屋を設けて立藩正次以後,高木氏は明治初年まで13代,240余年間にわたって在封した2代正成の代の寛永10年に安房・上総両国内3,000石が加増となったが,3代正弘のとき,その弟正好・正房に各1,500石を分与して,再び1万石となった河内国内の領地は,元禄12年6代正陳の代に丹南郡内の領地の一部を下野【しもつけ】国足利郡に,さらに宝暦8年8代正弼の代には,丹南郡内の領地の一部が丹北郡6か村・志紀郡内2か村に替地となった表高1万石に対して幕末の実高は1万1,000石を超えたそのうち河内国内では,丹南郡内14か村5,800余石,丹北郡内6か村2,200余石,志紀郡内2か村1,000余石であった高木氏は,正陳の頃までは参勤交代を行っていたが,のちこれをしない定府大名となった江戸城中では菊間詰で,虎之門内に上屋敷を,麻布笄橋【こうがいばし】に下屋敷をもっていた江戸城での時献上は,6月に道明寺糒高木氏の国元の菩提所は来迎寺明治元年,漢学・習字を修学させる丹南学校が創立された同4年の廃藩置県で丹南県となる

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7384436 |