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中宮(近代)


 明治22年~昭和54年の大字名。はじめ山田村,昭和13年枚方町,同22年からは枚方市の大字。大正11年小作争議が起こり,小作人による「竹引抜き事件」発生。農民組合も結成され,当地方の農民運動を領導した。翌12年西方寺に日本農民組合によるわが国最初の農民学校が開催された。大正15年府立中宮病院開院。昭和9年府道枚方長尾線が開通し,集落北部を横断した。同13年陸軍造兵廠大阪工廠枚方製造所が開設されたため,府道北側の田畑が広範囲にわたって買収され,さらに国鉄片町線津田駅から貨車引込線も設けられ,軌道敷の潰地も多かった。昭和14年の陸軍禁野火薬庫の大爆発によって被害をこうむり,民家が多数焼失した。復旧に際しては広い道路を縦横に通す都市計画を実施した。工廠は戦争の深化とともに昼夜3交代制を採ったため,中宮付近は工員宿舎・官舎などが建設され,信栄【しんのえ】・都丘・須山などの新しい町が生まれた。第2次大戦後,工廠跡は小松製作所に払下げとなったほか,住宅公団中宮第二団地が建設され,昭和31年入居が開始された。昭和28年星ケ丘病院も開院(同41年星ケ丘厚生年金病院と改称)。同41年国道1号(枚方バイパス)が東部田圃中を縦貫し,国道沿いに久保田鉄工所など多数の企業が進出してきた。同46年中宮中学校,同47年中宮小学校が開校。昭和15年の世帯数は788(旧枚方市史)。同40年3,507世帯・1万5,166人。なお昭和22年の世帯数・人口は,中宮山戸217・929,中宮東224・835,中宮西314・1,127,中宮本町104・359,池之宮65・300,都ケ丘375・1,379,寿山403・1,594,信栄129・497,東都ケ丘13・69で,合計1,844・7,089。同41年中宮北町・禁野本町2丁目,同42年中宮西之町・中宮東之町・中宮本町・中宮山戸町・堂山町・新之栄町・須山町・都丘町・禁野本町1丁目・宮之阪2~3丁目,同45年宮之阪4丁目・松丘町・星丘2・4丁目および池之宮1~4丁目,同46年上野3丁目,同54年中宮大池1~4丁目・出屋敷西町1丁目・堂山東町となる。




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「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7385055