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伯太村(近世)


 江戸期~明治22年の村名。和泉国泉郡のうち。はじめ幕府領,寛文元年大坂定番渡辺氏領,元禄11年からは伯太(はじめ大庭寺【おばでら】)藩渡辺氏領,村高は,元和7年10月の年貢割状(青木家文書/和泉市史2)では503石余,四郡高附によれば正保2年も同高,「天保郷帳」563石余,「旧高旧領」では571石余。「五畿内志」には「博多」とも書くと見える。寛文元年11月,大坂定番となった丹後守渡辺吉綱に加増された1万石のなかに伯太村高503石余があった。以後当地は越中守渡辺方綱を経て備中守渡辺基綱に世襲され,元禄11年に大庭寺藩を立藩した。その後享保12年4月,居所を大鳥郡大庭寺村から当地に移し伯太藩となり,幕末に至った。陣屋と家臣団の屋敷は信太山丘陵中腹に立ち並んだ。用水は大部分を信太山丘陵の谷あいに築かれた今池・丸笠池・藤心池に依存し,また信太山丘陵地から薪や草を採取したが延宝6年頃,黒鳥村との境争論が起きている(同前)。明治4年の人数は551(男250・女299・屋敷奉公人2)で,屋敷奉公人の2名を除いていずれも浄土真宗本派の西光寺・常光寺・正念寺を檀那寺としたが(同前),渡辺家家臣団は別村に近い独立性を保っていた。安永7年の牛改によれば,池上村20頭・和気村5頭をはじめ今在家・唐国・箕形上石津村など近隣農村から購入した牝牛30頭がいた(同前)。村内中央を熊野街道が東西に通る。神社には式内社と伝える伯太神社およびその末社である丸笠神社がある。なお伯太神社は「延喜式」神名帳には「博多神社」と見える。明治9年の人口1,163。同14年大阪府に所属。同22年伯太村の大字となる。




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「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7385480