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伯太藩(近世)


江戸期の藩名譜代小藩大庭寺藩とも称した4代将軍家綱の側用人をつとめた渡辺吉綱が,寛文元年11月に大坂定番となり,河内国志紀・古市・丹北の3郡内と和泉国大鳥・泉の2郡内に1万石を加増され1万3,500余石となった渡辺氏の本領は武蔵国比企【ひき】郡内などの3,500余石で,本居も比企郡野本にあったが,孫の基綱の代に,元禄11年,武蔵国の領地を近江国野洲・栗太・蒲生・高嶋の4郡に移され,それを機に居所も大鳥郡大庭寺村に移し,大庭寺藩を称した享保12年,居所を泉郡伯太村の小栗街道沿いに移し,ここに伯太藩が成立した領地は和泉国泉郡・大鳥郡,河内国古市郡・志紀郡,近江国4郡のうちに散在基綱以後,渡辺氏は明治初年まで9代,150余年にわたって在封した幕末の石高は,和泉国泉郡内4か村1,800余石,大鳥郡内12か村4,600余石,河内国古市郡内4か村1,300余石,志紀郡内5か村2,100余石,ほかに近江国4郡内3,500余石江戸城中では菊間詰天保年間,伯太仮学校が設置され,漢字・習字の教授が行われた明治4年の廃藩置県で伯太県となる




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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