林燈油薗(中世)

平安期~室町期に見える荘園名河内国河内郡のうち石清水八幡宮寺領延久4年9月5日の太政官牒(石清水文書1/大日古)に荘園整理にあたってもとのごとく存続を認められた11の荘園のうち「壱処 字林燈油薗 河内郡」とあるのが初見で,免田14町5反余・常灯田6町・御菜田8町5反余からなり,3条土江里,4条梶無里,6条馬里などに散在している次いで,保元3年12月3日の官宣旨(同前)に石清水八幡の宿院極楽寺領として「河内国……林燈油薗」と見えるまた,「石清水八幡宮末社記」には建長8年正月18日に社務宮清が極楽寺長日勤行のために寄進した中に「林燈油」と見える(続群2)元弘2年2月20日の藤原康政の譲状写および至徳元年8月22日の藤原忠夏譲与目録写には「林燈油公文職」とあり,応永23年3月日の水走長忠知行注進状写にも「水走式部丞長忠本領惣領職当知行分事 一,河内郡散在田畠諸職等内……八幡林燈油公文職」と見え,水走氏の相伝する所職となっている(水走文書/枚岡市史3)

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7385676 |