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万町村(近世)


 江戸期~明治22年の村名。和泉国泉郡のうち。元和元年幕府領,元禄7年常陸土浦藩領,延享4年幕府領を経て一橋家領となる。村高は,四郡高附によれば正保2年455石余,元禄9年の泉邦四県石高(讃岐家文書/和泉市史2)では新検高601石余で,ほかに山役1石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに617石余。当村は池田谷上村の一部を構成したが,天正15年の池田谷上村八ケ村の借用状(荒木家文書/同前)には当村名は見えず,上村諸村の高野山蓮明院からの借米には加わっていないが,これは当村が中世以来の土豪伏屋氏の居村であったことと無関係とは思われない。なお延宝2年には伏屋長左衛門は大庄屋にあたる郷惣代を務めた(明王院文書/同前)。国学者契沖は延宝2年頃久井村から当村の伏屋家に移り住み数年滞在している。その間延宝4年には「正字類音集覧」を完成している。また伏屋長左衛門重賢は談林派の俳人であり,俳書「沙金袋」のほかにも多く入句している。また伏屋家分家を嗣いだ伏屋権右衛門は素狄と号し,オランダ医学を学び,文化2年に「和蘭医話」を著している。中世に始まった大念仏本尊廻村順化も行われており,正徳3年頃には当村小寺は池田谷の室堂村施音寺・和田村福田寺・浦田村法華寺と合同して本尊廻行している(同前)。神社には幣垣神社・意賀美神社があり,寺院には高野山真言宗小寺がある。明治9年の人口369。同14年大阪府に所属。同22年南池田村の大字となる。




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「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7386381