八上郡

「和名抄」に見える丹比【たじひ】郡が,平安期に丹北・丹南両郡に分かれ,さらに丹北郡のうちから西端にあった八下郷(和名抄)が分離し八上郡が割置されたが,その年次は未詳。石清水八幡宮寺領の諸荘園の存続・停止を規定した延久4年9月5日の太政官牒(石清水文書1/大日古)に,「壱処 八上郡田捌町壱段弐佰捌拾歩」とあるのが郡名の初見。また久安2年10月17日の僧頼円田地売券にも「八上郡野遠郷」と見えるが(京都大学所蔵古文書集/平遺2589),いずれも律令国家により公認された郡名であったのかどうかについては確証がなく,私称の可能性も残されている。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7386819 |