猪淵村(中世)

鎌倉期~戦国期に見える村名。摂津国河辺郡多田荘のうち。延慶4年2月15日付代官光末畠地寄進状に,多田院の山神免畠として寄進された畠地の在所に「多田内井淵村大畠」とあるのが初見。村内には多田院御家人田原三郎入道寂法や今北入道行心らの所領・所職があったが,貞和2年6月,多田院御家人織兵庫の遺領「多田庄内井淵村」の年貢米麦が新兵衛尉親永から多田院に寄進されている。次いで,同年11月,室町幕府執事高師直が当村を多田院毎日仏聖米并護摩供料所とするに至って以降,永く多田院領として存続,足利義政,足利義伊,足利義昭が安堵している。また,応安3年10月には多田院を管掌する元摂津守護佐々木道誉が「多田庄内猪淵・山原両村山河」での殺生禁断を命じるなど,村内は寺領として清浄が保たれた。永正3年多田荘段銭結解状によれば「一,猪淵村・山原村 出作分」と記され,山原村とともに450文の段銭を多田院に納めている(多田神社文書)。なお,天文12年10月2日付道者売券に高田全三が売却した道者職の1つとして「多々庄……一,いふち」が見える(神宮文庫蔵輯古帳)。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7388065 |