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有年荘(古代~


 平安期~戦国期に見える荘園名。播磨国赤穂郡のうち。「和名抄」の大原郷の中に成立した荘園。現在の赤穂市有年楢原・西有年・東有年・中山の千種川西岸に比定される。長和4年10月15日の太皇太后宮大夫家牒に「太皇太后宮大夫家牒 播磨国衙,欲被如旧立券所領字有年庄,券労免司寄人等臨時雑役状」と見える。有年荘は太皇太后(円融皇后藤原遵子)家の藤原公任が代々相伝したが,火災により公験を紛失した。そこで公任は播磨国司藤原説孝に,有年荘の田地の坪付と司・寄人の交名の写を送り,改めて荘園の立券を要請した。国衙は立券を終え,同年11月16日有年荘の司と寄人の臨時雑役の免除を国符によって郡に命じたことがわかる(朝野群載)。有年荘の成立年代,公任家相伝の事情などは不明であるが,国符によると荘司7名の幹部は播磨氏など在庁官人が占め,41名の寄人の構成は在地有力民である秦・安曇・佐伯・春名氏らが多数を占めている。保延~久安年間頃に成立したといわれる「執政所抄」には,摂関家の京極殿御懺法に際して南御堂所要の松120把が有年荘から納められたように記されており,この段階では近衛家領となっていたと推定される(続群10上)。建長5年10月21日の近衛家所領目録によると,当荘は北小路尼(平清盛娘,藤原基実の正室か)から藤原基通に譲られ,さらに前大僧正静忠(藤原基通の子)に譲られた3か荘の1つであり,またこの有年荘は京極殿堂領であるという(近衛家文書/鎌遺7631)。藤原師実の京極殿のなかに営まれていた持仏堂領であったか。また同目録によると,当荘は寛元2年静忠からその甥にあたる弟子の権僧正静基に譲られている。この時点で,静忠が譲られた有年荘以外の八多・犬上の2荘では「当時不勤仕政所役」と近衛家領も動揺を始めているが,有年荘では正応3年布5反を献納している(同前/同前17513)。建武3年11月28日の光厳上皇院宣并足利尊氏書状案では近衛家から離れ(海蔵院文書/富山県史2),同年8月30日実相院門跡領として安堵されている(実相院文書/越佐史料2)。静基(鷹司兼基の子)は寛喜元年入檀受法して実相院と号し,実相院を開創している。これによって有年荘は実相院領となったのであろう。以降康暦2年10月4日の実相院門跡良瑜大僧正御教書,長禄3年10月25日の実相院門跡領目録では同院領として相伝されている(同前/吹田市史4)。なお,貞和3年6月24日の刑部守延譲状によると,有年は牟礼とともに広峰山上坂本坊の檀那で,檀那株として坂本坊が相伝している(広峰文書)。また,天文4年8月11日の永応寺蔵方便法身尊形裏書に「善祐門徒播州赤穂郡宇念庄井内村惣道場物」と見える(赤穂市史4)。




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「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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