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有年町(近世)


 江戸期~明治初年の町名。赤穂郡のうち。栗栖村の一部で町場化した地。上菅生村・下菅生村・栗栖村の3か村の総称としても見える(宝永3年の御領分村々指出帳)。元禄年間には東有年村と称したという(赤穂郡誌)。はじめ赤穂藩領,元禄14年幕府領,同15年からは赤穂藩領。西有年村に置かれた山陽道の宿駅が慶長年間以降当町に移された。有年宿絵図によると,長さ500m余の街道両側に家数100以上が記され,ほぼ中央南側に本陣がある(赤穂市史)。宝永3年の御領分村々指出帳によれば,家数164・人数1,004,高瀬舟1が加里屋へ往来,渡し船1,社寺は八幡宮・薬師・荒神と浄土真宗浄泉寺,千種川渡し場から西500mの宿駅には本陣・脇本陣・代官宿・使者宿・馬借問屋・馬割場のほか商人宿・木賃宿・商店・飲食店など100軒余が並ぶ。同年の助郷は,有年組7か村(中山村・西有年村など),名村組6か村(竹万村・岡村など)のほか,庄内組として東有年・上菅生・下菅生の3か村とされている(同前)。これによると栗栖村が東有年村とも呼ばれたと考えられる。なお,加助郷は5組に分けられ,郡中残らず割り当てられた。慶応2年美作国津山に発生した百姓一揆の余波が当町にも波及し,有年町河原に3,000余人が集合した。長州戦争から戊辰戦争の数年間は西下・東上する各部隊の休所・宿泊所として当町や付近の村の民家が利用され,明治初年まで当町は宿場町として繁栄した。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7388403