100辞書・辞典一括検索

JLogos

36

大明石村(近世)


 江戸期~明治22年の村名。明石郡のうち。元和3年小笠原忠政の明石入封までは明石川東岸,赤松山麓から海浜にかけて広がっていた3か村の1つ。同4年明石新城建設に伴い,当村の大部分は城地にかかり,旧西国街道は新しいルートに付け替えられ,城下町地にかかった中庄村・大蔵谷村とともに,その該当地域の住民は強制的に城下に移住させられた。以降は明石川東岸と城地剛の池・西下馬町の北側にわずかに大明石村が残された(文久3年明石町旧全図)。なお,「正保郷帳」や貞享元年の播磨国明石御領村高辻帳には中庄村は見えるが当村は記載されていない。のちの明石藩領分村附では東浦辺組に「大明石中之庄」とあり,江戸前期は両村が一村として扱われていたことがわかる。「元禄郷帳」には村名が見える。明石藩領。村高は,「天保郷帳」35石余,「旧高旧領」55石余。明治初年の明細図によれば,それまでの大明石村のほかに明石城の城地が組み入れられた地域が大明石となっている。時期は不詳であるが,明治10年代に旧家中町の茶園場町・大藪町・東片端町・西片端町・追手町・忠度町・右手塚町・弓町・寺町・樹木町・堀端町・中ノ町・東ノ町・六軒町・新屋敷町・出晴町・立町・忍町・清水町・幸町・沼ノ町・中町・土手町・山下町の24町と山下村を合併したと考えられる。明治17年戸長役場が置かれた。同年の戸数637・人口2,802,有税地72町余。同22年明石町の大字となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7388601