櫛田(近代)

明治22年~現在の大字名。はじめ久崎村,昭和15年久崎町,同33年上月【こうづき】町の大字。明治24年の戸数188,人口は男493・女475。大正10年の戸数175,人口は男508・女488(佐用郡誌)。明治30年前後から養蚕・畜産を副業としたほか,わら芯切りを始めた。稲わらの穂先はほうき,次の節間を6寸芯,次の芯を5寸芯といい,麻裏草履,下駄の表材料として売却,郡内で最初に始めたのが当地で,郡内では平福村・石井村以外の村々で,冬季の婦女子の副業として広まった。1日平均1貫目を生産,一戸平均60円程度を稼いだ。郡内に仲買人が数名,奈良県・岡山県・静岡県に出荷した。当地は養蚕農家が少なく,ほかからわらを買い,夏季も従事したという(久崎村誌)。世帯数・人口は,昭和35年161・863,同55年154・735。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7390446 |





