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篠山(近世)


 江戸期の城下町名。丹波国多紀郡のうち。篠山藩の城下町。町の創設は篠山築城の翌年の慶長15年正月家老の岡田内匠重綱を地割奉行として始められ,小丘篠山を中心に黒岡・岡屋・野中の3か村の地域に建設した。その立地状態はほぼ方形をなす平面形態や直交状街路をなし,城下に入る山陰道は見通しを防ぐため何回も屈折させ,溝や竹藪を設けて防衛上の工夫をなしている。武家屋敷は町屋敷に対し3対1の広大な地域を占め,外濠の内部には北に諸役所,東と西に重臣屋敷を置き,外濠の四周の濠端から外部にかけて格式身分に応じて配置した。城の北の山ノ内一帯2町2反余の地域に城主の下屋敷を寛永元年に造成し,その周辺と城の南側篠山川の北辺や小川尻には小役人,足軽屋敷や長屋を設けた。これら武家屋敷の数は,寛延2年には城内16軒・御家中128軒・切米取174軒・足軽衆348軒・長屋9軒で,武家人口は約3,375人であった(御得替之節書物控)。「丹波国郷帳」には笹山城内侍屋敷として377石余とある。武家屋敷の地域は当初町名はなかったが,次第に町名がつけられ,東方の外濠と黒岡川との間に東濠端・餌差町・川の町・石上寺前町・石上寺横町・割場裏町・割場後町・蛤小路,西方の外濠と岡屋村との間に西堀端・御徒士町・石山横町・中小路・下小路,南方の外濠と篠山川との間に南濠端・新町・六軒町・由良町・小川口・矢竹・厩口・旗組・調練場・監物,北方の外濠と黒岡村との間に北堀端・小姓町・二十軒町・八軒町・持筒組・町組・郷組などがあった。篠山にあった氏神春日社を山の内春の木坪に移し,街道筋や鬼門にあたる要所には八上城下より寺院を移建した。河原町に真福寺・観音寺があり,元和5年に本経寺が常陸国土浦から移り,立町の鬼門除に尊宝寺・来迎寺,魚屋町西に誓願寺,西町に妙福寺が配置された。町屋は八上城下町の89軒をはじめ,当時町立てしていた宮田・追入・味間地区の商家を強制的に移して作り,慶長17年に初めて地子高106石余と定めた。なお,「丹波志」には城下町人作として1,074石余とある。町屋は武家屋敷の周りを取りまくように東から西へ上河原町・下河原町・小川町・上立町・下立町・呉服町・上二階町・下二階町・魚屋町・上西町・下西町の11町ができた。そののち,上河原町の北に二昧町,南に京口・土手裏,上立町・下立町の西側境目に牢屋小路,下立町の東北に六軒町,西北に横町,東方に立町裏と称する地もできた。呉服町の西は広小路,南は内黒岡で,ここには藩主の祈願所として石上寺(のちに清水寺・円通寺となる),法円寺や宝寿院があった。上二階町の西は大手口で,下二階町と魚屋町との境目小路の北を瓢箪町,南を魚棚と称し,誓願寺裏を石田分といっていた。町屋は間口2~3間半の家が多く,奥行は20~22間余の均等型であった。宝暦11年には町の長さ24町24間,家数523,うち役家280,人数2,672(巡見使へ返答控書)。天明3年には641軒・2,663人(高附帳)。幕末から明治初年にかけて江戸・京都在住の家臣が篠山へ帰藩したため,急遽藩士の住宅を下立町の東裏と誓願寺の西と北に建設した。藩の町行政は町奉行と町目付を置き,町側には門閥商人の末孫の渋谷家と兵庫屋(小林),のちに扇屋(河合)を惣代年寄となし,11町の各町に宿老・町代計21人,五人組95の組頭を置き,牢屋1・門18・橋4・番所3の役以外の役家数292半で,地子高118石余~116石余と定めた。上層町人は掛屋や御用達などを勤め,また藩へ多額の献金をして苗字帯刀を許されるなどして,藩財政・公務に深く結びつく者は慶応2年には20数名に及んだ。万延元年手形打ち上げ難渋のために起こった全藩一揆はこれら払役の商人の商策によるものであった。藩は業種別に問屋や株仲間(酒造16・醤油・油)などを作って統制し,物資の需給の調節・売買,市場の取締り,米・貨幣の公定などを行った。明治5年町名の変更と新設が行われ,上河原町と下河原町が合併して河原町,上立町と下立町が合併して立町,上二階町と下二階町が合併して二階町,上西町と下西町が合併して西町となり,また武家屋敷の地域は新たに東新町・西新町・南新町・北新町・乾新町・山内町の6町となった。これに旧来からの小川町・呉服町・魚屋町を加えた13町が旧城下町ということになる。明治12年旧城下を篠山町と総称し,各町は「篠山」を冠称。なお,この冠称は大正11年まで存続した。明治8年北新町に篠山小学校を開設し,明治6年開校の知新館・東幹校を合併,教員数13,生徒数男320・女152。同9年篠山中年学舎設立,同11年公立篠山中学校となる。明治10年篠山警察署,篠山区裁判所開庁(篠山町七十五年史)。同16年の戸数・人口は,東新町139・471,北新町131・473,西新町85・269,南新町116・406,山内町77・215,乾新町149・544,河原町182・707,小川町27・71,立町200・863,呉服町95・366,二階町116・515,魚屋町55・211,西町88・292,総計1,460・5,403(県市町村合併史)。




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「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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