末吉村(近世)
江戸期~明治22年の村名。摂津国川辺郡のうち。もと河原村の一部,同村から分村して成立。なお,分村年代不詳。摂津国麻田藩領。郷帳類では河原村の一部として扱われた。村高は,寛文4年の麻田藩領地目録によれば57石余。寺院は,黄檗宗大覚山方広寺。同寺は麻田藩主2代目の青木重兼によって延宝6年建立され,青木家の菩提寺となった。代々の藩主は毎年1回領内の巡視をかねて同寺に参拝した。高平谷の黄檗山と自称し,僧衆400人余が常在したという(有馬郡誌・三田市史)。明治22年高平村の大字となる。
 | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7392424 |