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多可郡


天正8年羽柴秀吉,同11年羽柴秀長が姫路城主となり播磨国を支配した。慶長5年姫路藩領となる。同9年池田輝政が滝野村(滝野町)阿江与助と田高村(黒田庄町)西村伝入斎に田高川の開削を命じている。この工事後,加古川舟運は氷上郡本郷(氷上町)まで通じるようになった。また,西村には闘竜灘より上流の舟運を管轄する権利が与えられ,田高の舟座の取締役が命じられた。慶長年間の村数120か村・高4万2,040石余(県史4)。元和3年当郡の一部が姫路城部屋住本多忠刻領となる。寛永8年では姫路藩領2万7,071石余・姫路城部屋住本多政勝領(もと忠刻領)6,007石余。同16年郡全域が幕府領となる。「正保郷帳」によれば122か村・3万3,578石余。延宝6年(延享4年まで)15か村が下総国佐倉藩(貞享3年からは相模国小田原藩)領となる。「元禄郷帳」によれば124か村・3万3,887石余。当郡には銀銅山が集中しており,元和年間に開坑した妙見山・樺坂・寺谷の各銅山をはじめ,江戸中期には小畑・久留寿・勝浦谷・年多部・金堀の各銅山が開発された。また,江戸中期に生野・多田の産銅量をしのいだ栢野木銅山も当郡にあったといわれる。紙漉が盛んで,江戸中期以降広く普及する杉原紙は杉原谷(加美町)の原産といわれる(県史4)。また,凍コンニャク・串柿も杉原谷の名産であった(播磨鑑)。宝永7年安楽田町(中町)の千石太郎兵衛が幕府巡見使に代官・元締・掛屋の不正を列挙した訴状を提出。正徳5年田高舟座の運賃値上げについて流域村々から反対運動が起きる。江戸中期以降,幕府領の一部が大坂城代役知に割り当てられた。ちなみに,延享元年~延享2年出羽国山形藩主堀田正亮が大坂城代就任中は,当郡内13か村・3,307石余が同役知となっている(姫路市史)。寛保2年大坂定番丹羽薫氏が当郡内に所領を与えられ,のち延享3年当郡内でも加増され(当郡では11か村)三草藩を立藩。延享4年もと小田原藩領を含む幕府領26か村・8,518石余が一橋家領となる(姫路市史)。宝暦12年幕府領の一部が下総国古河藩領となる。明和6年幕府領9か村・2,511石余が尼崎藩領となる。安永元年幕府領のうち三日月藩預り地(宝暦3年~安永4年)の村々が先銀賦課に反対し江戸へ出訴した。また,天明7年麦作不熟により播磨国一橋家領で強訴が発生。同年郡内で酒屋打毀が頻発した(県史4)。文政13年幕府領7か村・2,027石余が武蔵国忍藩領となる。「天保郷帳」では124か村・3万3,887石余。天保4年の加古川筋の一揆の際,当郡内の問屋・酒造家などが多数打ち壊された。「旧高旧領」では124か村・3万4,162石余。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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