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中(近代)


 明治22年~現在の大字名。はじめ河東村,昭和30年からは山崎町の大字。明治24年の戸数50,人口は男158・女121。明治22年河東村役場が,明治19年に新設された村道(のちに郡道,県道に昇格)に西面して設置されたが,昭和30年中公民館となり,さらに近年洋風に再建された。明治28年頃旧山崎藩士永瀬保治が当地に来住し,家塾を開いて村内の子弟の教育にあたった。また地内には駐在所なども置かれて地域の中心となっていたため道沿いに民家や日用雑貨・食料品などの小売店,電機関係の下請工場などが立ち並んだ。昭和45年以来の宅地造成ブームで県道田井中広瀬線沿いに住宅地が建設された。同58年,圃場整備完了。世帯数・人口は,昭和40年65・326,同50年66・328,同55年85・371。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7393861