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西柳原町(近世~近代)


江戸期~現在の町名明治中期~昭和6年は兵庫を冠称江戸期は兵庫津岡方の1町地名の由来は,東柳原町と同じく柳の木の群生地帯であったことによる(西摂大観)兵庫津西の入口柳原惣門があった高札場があり,番所が設けられ往来の人を取り締った(元禄古図・神戸市史)惣門の外は明治初期まで棒鼻と呼ばれ,駕籠屋が集まっていたという(神戸物語)池田信輝・輝政が兵庫城を築いた際,防衛上の意味から寺院を外輪堤内部(都賀堤)に配列したらしく,当町には福海寺,北の門口町・三川口町に福厳寺・久遠寺・範国寺と並ぶ(元禄古図)また,柳原えびすで知られる蛭子神社も当町にある毎年1月9・10日の蛭子神社(えびす)祭は,向かい合った福海寺の大黒天の祭りと重なり,神戸市内では最も有名で,道路両側に露店が並び参詣客でにぎわう寛政8年の家数76・人数407(安田家文書)明治元年岡組,同5年兵庫2番組に属す同12年神戸区,同22年神戸市,昭和6年同市湊西区,同8年からは同市兵庫区に所属明治22年山陽鉄道開通世帯数・人口は,昭和5年381・1,584,同55年291・666昭和50年一部が三川口町1~3丁目・門口町・東柳原町となり,門口町・東柳原町・浜崎通1~4丁目の各一部を編入




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7394663