念仏村(近世)

江戸期~明治10年の村名播磨国加東郡のうち加古川支流東条川中流域地名の由来は,昔,当地に念仏常行堂のようなものがあったためか(加東郡誌)もと豊臣氏蔵入地慶長5年姫路藩領,元和3年幕府領,弘化2年からは遠江国浜松藩領(明治元年上総国鶴舞藩領)村高は,「正保郷帳」767石余うち田687石余・畑79石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに811石余なお元禄年間頃までに総持院村を分村寺院は浄土宗天真山硯安寺社堂は若宮神社・稲荷神社・大年神社・妙見堂・薬師堂2・地蔵堂2当村の西北,東条川岸に冷泉が湧出し,昔から薬師如来の霊水と称して諸病に効くといわれる古城址に念仏構居があり,構主は田尻甲斐守,三木城別所氏の幕下と伝える明治10年岡本村の一部となる

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7394754 |