林崎村(近世)

江戸期~明治22年の村名。播磨国佐用【さよ】郡のうち。もと宇喜多氏領。慶長5年姫路藩領,元和元年平福藩領,寛永8年山崎藩領,慶安2年幕府領,元禄10年からは三日月藩領。村高は,「正保郷帳」372石余うち田287石余・畑84石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに378石余。天保9年の庄屋手帳によれば,家数51・人数215,牛28(間島家文書)。享保14年大風洪水,延享2年洪水・大風,寛延3年暴風雨,明和7年日食,同年6月2日から8月10日までは雨無く百日日照りといわれる。文化12年暴風雨洪水,天保7年雨天続きで凶作。文久3年には凶作で百姓騒動が起こる(佐用町史)。氏神は山王七神社。大広村から宇野峠を越えて当村を通過,佐用坂峠から佐用村に通じている道路は,明治14年に峠を改修した。同22年徳久村の大字となる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7395157 |