福本藩(近世)

江戸期の藩名外様小藩陣屋は神東郡福本福本藩の祖池田政直は播磨国山崎藩主池田輝澄(輝政の四男)の子で,輝澄が寛永17年に家臣騒動のため領地を没収され,池田光政(因幡国鳥取)に預けられ,堪忍分として1万石を得,同国鹿野に住するに従った万治元年に赦免され,寛文2年に襲封し,このとき領知を播磨国神崎・印南の2郡に移され,翌年神崎郡福本に陣屋を置く同4年の領知目録によれば,神崎郡の内35か村,9,492石余,印南郡の内1か村,507石余の合計1万石である寛文5年に政直が死に,嗣子がなかったため,翌年弟の政武が家督を継いだが,弟の政済に3,000石を分与したため交代寄合に列す明治元年に喜通に3,500石が加増され,諸侯に復した同年徳潤が襲封,明治3年に鳥取藩に合併した江戸城中では柳間詰明治4年の廃藩置県で鳥取県となる

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7395862 |





