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由良荘(中世)


 平安末期~戦国期に見える荘園名。丹波国氷上郡のうち。「和名抄」の賀茂郷の地に成立。京都上賀茂神社領。寿永2年9月の丹波国庁宣写に「可早任院庁下文旨,以丹波国由良庄新庄賀茂社領事」とあり,当荘が賀茂社領となっている(東山御文庫記録/平遺補142)。翌年4月24日上賀茂神社領42か所の荘園に対して武士の狼藉を停止した源頼朝の下文案の中に由良荘が記されている(賀茂別雷神社文書/平遺4155)。文治2年になっても,由良荘に対する狼藉は止まなかったらしく,同年9月5日頼朝は北条義時の知行を停止して,上賀茂神社に荘園を返却し,神役を勤めることを命じた(賀茂別雷神社文書/鎌遺170)。「上賀茂神社諸国神領并神社考」は,堀河天皇が寛治4年上下両賀茂神社へ不輸田600余町を寄進して上賀茂神社領42か所が成立したとし,その中に由良荘が記されている。そして承安御造営の頃から競馬料所および灯油役となったという。下って,文明8年には由良年貢のうち1,000疋を貴布禰神社に寄せて祈祷料とし,翌年はさらに2,000疋とした(親長卿記/大成)。しかし,同18年には年貢が納められなかったため祭礼が行えなかった(同前)。なお氷上町北田井の賀茂神社は,この地が賀茂別雷神社の荘園となって勧請されたと思われる。下って,天正9年10月28日赤井忠家は広瀬甚六に恩賞として「氷上郡之内於由良庄東蘆田二百石」を宛行っている(鷲尾彦九郎文書/家蔵文書55)。荘域は「丹波志」に賀茂大明神の氏子村として見え,氷上町北田井・南田井・田中・北由良・南由良・桟敷・伊佐口・香良・絹山の範囲と青垣町東芦田も含まれるか。




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「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7397399