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戒重藩(近世)


江戸期の藩名式上郡戒重に陣屋を置いた外様極小藩元和元年織田長政が,父有楽斎長益(織田信長の弟)から山辺・式上両郡および摂津島下郡で1万石を分知され(はじめ9,980石余で,のち老中井上氏の計らいで19石余を加えられた),戒重に本拠を置いたことで成立はじめは山辺郡山口村に仮住いしていたが,元和4年,中世の戒重城跡に陣屋を構築したはじめ藩士へは地方知行を実施したが,のち俸禄制へ移行し,貞享年間には70~80軒の家中屋敷が陣屋の周辺に集まったまた,藩の城下町建設で横大路に新町が形成され,延宝年間には60軒余の商工業者が軒を連ねた藩主は長政のあと,長定・長明・長清・長弘・長亮・輔宜と続いた長清は好学の藩主で,「織田真紀」などを執筆,元禄9年藩校遷喬館を設立した「寛文朱印留」によれば,藩領は式上郡内では戒重・大西・江包・岩田・箸中・穴師・備後・角栖・柳・中谷・和田・小夫の12か村(4,197石余),山辺郡内では勾田・山口・内馬場・薗原・兵庫・新泉・岸田・乙木・藤井の9か村・3,654石余,摂津国島下郡内で5か村・2,148石余長清の代の宝永元年,戒重が藩領の最南に位置し,しかも低湿地で年貢の納入も不便であるとして,式上郡岩田村への屋敷替えを幕府に願い出て認可された同3年には縄張りが完成したが,折からの藩財政の逼迫により屋敷が完成したのは寛保2年のことで,さらに遅れて輔宜の代の延享3年藩庁を移転し,岩田村を芝村と改めたので芝村藩となる




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7398718