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城戸(古代)


大和期から見える地名城上・木・木上・城於とも書く古くは水派【みまた】と称したキノヘは河川の流域から見て一段高い土地,あるいは自然堤防上の地キは「高地」で,へは「辺」,あるいはウヘの約か(古代地名語源辞典)①城上邑武烈天皇は大伴室屋大連に詔して,信濃国の男丁を差発して,城の像を水派邑に作れと命じたので,当地を「城上」と称したと伝えられる(武烈紀3年11月条)「万葉集」巻2には,「明日香皇女木の殯宮」(196題詞),「高市皇子尊の城上の殯宮」(199題詞)が見え,それぞれ柿本人麻呂の挽歌に詠まれている同書巻13にも「城於の道」(3324),「城上の宮」(3326)が見えるなお用明朝には,彦人皇子が「水派宮」に居住したとある(用明紀2年4月丙午条)②城戸郷「和名抄」広瀬郡六郷の1つ高山寺本・東急本ともに訓を欠く「和名抄」以外に郷名は見えない「大和志」は現在の河合町川合の城古【じょうこ】に比定する広陵町斉音寺の記三上神社を記之上の誤記であるとして当地に比定する説もあるまた同町大塚の於【うえ】神社は「城宮【きのみや】」とも称することから(大和志),当地を城戸(城於)とする説もある押坂彦人大兄皇子の墓である「成相【ならひ】墓」(現広陵町疋相【ひきそ】・平尾付近に比定)の墓域が「東西十五町南北廿町」(延喜式諸陵寮)と広いのは,彼の住んだ「水派宮」の宮域あるいは遺領をその内に含んだことによるとするならば(地名辞書),この付近に郷域を比定することができる「君と時々 幸して 遊び給ひし 御食向ふ 城上の宮を 常宮と 定め給ひて あぢさはふ 目言も絶えぬ」柿本人麻呂(万葉集196),「麻裳よし城上の宮を常宮と高くまつりて神ながら鎮まりましぬ」柿本人麻呂(同前199)




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7399230