櫛羅藩(近世)

江戸期の藩名倶尸羅藩とも書く葛上【かつじよう】郡櫛羅(倶尸羅)に陣屋を置いた譜代極小藩延宝8年葛上・葛下【かつげ】・忍海【おしみ】3郡で1万石を与えられた永井氏は,直円・直亮・直国・直温・直方・直養・直幹・直壮と定府大名のまま続いたが(これを新庄藩と呼ぶこともある),文久3年直壮の代になって倶尸羅村に陣屋を設けたので,当藩が成立した倶尸羅村は藩領のうちでは枢要の地にあった大村で,地内に家中屋敷・町屋敷の町割を実施し,城下町建設に努めた藩領は,明治初年には葛下・葛上・忍海3郡で1万石であった明治4年直壮の次の直哉の代に廃藩置県によって櫛羅県となる

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7399286 |