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高尾張邑(古代)


大和期に見える村名尾張の高地を表わし,尾は山の尾,丘の尾の尾で,先端を示し,張は墾で,開けた所という意味か(御所市史)神武即位前紀戊午年9月戊辰条に「高尾張邑〈或本に云はく,葛城邑といふ〉に,赤銅の八十梟帥有り」と見え,さらに同己未年2月辛亥条には「高尾張邑に,土蜘蛛有り其の人為り,身短くして手足長し侏儒と相類たり皇軍,葛の網を結きて,掩襲ひ殺しつ因りて改めて其の邑を号けて葛城と曰ふ」とある前者には或本に葛城邑というとあるが,後者には,高尾張邑の土蜘蛛を誅してのち,その邑を葛城といったとされるなお「三代実録」貞観6年8月8日条には,尾張国海部郡人甚目連公宗氏などの一族に高尾張宿禰の姓を賜ったとあり,「旧事紀」天孫本紀には尾張氏が葛城氏と通婚していたことが記されていることなどから,当地は尾張氏の本貫地であったとする説がある「姓氏録」大和国神別には「尾張連」として「天火明命の子,天香山命の後なり」とある現御所【ごせ】市関屋から宮戸・多田【おいだ】にかけての旧吐田郷村付近に比定される当地は葛城の丘陵が長く延びる地域で,細尾・仏ケ尾・ヲサキ・古大張などの字名が残るちなみに天平3年7月5日住吉大社司解(住吉神社蔵文書/平遺補1)に「葛城山元高尾張也」という注記が見える




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「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7400454