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半田突抜町(近世~近代)


江戸期~現在の町名江戸期は奈良町の1町吐田突抜町とも書いた寛永11年~宝永7年は半田方庄屋支配,以後は南方触口支配に属する江戸期は奈良町の北部に位置し,後藤町の南,北半田西町の北にあたり,東西の小路に面する街区地名の半田は甲冑師半田氏が居たからとも,奈良仏絵師吐田氏の住したのに由来するともいう(奈良坊目拙解)また,突抜の地名は後藤町と北半田西町の地後【ちしり】を割って新たに東西の小路を開いたことに由来し,俗に尻切(後切)町という(同前)貞享4年の「奈良曝」には町役4軒とあり,山伏の松本院・覚林房の名が見える寛永8年の役家数4,元禄2年の家数18,竈数29うち大家17・借家12,享保14年の役家数4,家数30,竈数30うち大家18・借家12(奈良市史通史3)寛永19年11月27日,宝永元年4月11日,宝暦12年2月23日の大火で類焼(同前)「奈良坊目拙解」によると,もと氷室社の氏子区域であったが,「近代東大寺八幡宮造営以降為八幡氏子」とあり,元禄4年の造営以後東大寺八幡宮の氏子区域になったらしい明治22年奈良町,同31年からは奈良市に所属昭和13年の世帯数18世帯数・人口は,同45年18・68,同55年21・63




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7401732