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大垣内村(近世)


 江戸期~明治22年の村名。那賀郡のうち。和歌山藩領御蔵所。小倉組に所属。村高は,慶長検地高目録で980石余,「天保郷帳」「旧高旧領」とも1,030石余。なお,隣村吐前【はんざき】村の光恩寺の寺地は当村にもかかり,同寺領は吐前村に5石余のほか,当村にも8石余あった(御高並村名帳/南紀徳川史10)。元禄8年の懐中覚(西川家文書)によると,高1,021石余,反別は田方38町歩余・畑方22町,用水はすべて井懸りで,本村の家数71軒うち本役39・半役21・無役5・庄屋1・ありき1・御歩行2・根来者2,本村の人数は男167・女187の計354人うち出奉公人109。「続風土記」では本村の家数67軒・人数258。小名に東坂本・藪之内・出島(馬継)・釈迦堂がある。藪の内・出島(馬継)は伊勢街道沿いに成立。神社は小祠3社。寺院は浄土宗鎮西派観音寺,浄土真宗本願寺派安楽寺・仏源寺。明治4年和歌山県に所属。同6年には戸数111,男255・女231。同9年満屋村から当村にかけて寺地をもつ光恩寺境内に小倉小学創設。同小学の就学区は大垣内・吐前・満屋・田中・金谷の5か村,同14年から金谷村が除かれた(小倉村是)。同22年小倉村の大字となる。




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「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7403605