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大引(近代)


 明治22年~現在の大字名。はじめ白崎村,昭和30年からは由良町の大字。白崎村役場所在地。明治24年には東西20町・南北4町余,戸数185,男604・女540,学校1,小船118。近世にひき続き,網漁やカツオ釣りが盛んであったが,7,8丁櫓の大船に25人も乗りこんだカツオ船は,明治35年ごろまでが全盛で,その後は小船で小人数のサバ釣り船にかわっていった。網漁では,ハマチ網が2統(神田網・坂口網)あり,集落の家々が半分にわかれてひき子となった。また共有のボラ敷網も東西2統あり,同じように半々にわかれて操業された。明治44年の戸数213・人口1,193。大正初期の田地16町2反余・畑3町4反余・山林184町余(白崎村郷土誌)。明治10年代から南部の石灰岩露出鉱床(前山)の採石,石灰焼成が村の有志によって始められ,その後,石灰業者の手で採石搬出が進められる。昭和2年からは大分セメント(のちの小野田セメント)の採石場となり,江ノ駒に原石を運ぶ。昭和18年同社のセレベス(インドネシア)移転後は,由良石灰会社が営業,採石搬出を続けるが昭和46年閉鎖。白崎鉱山も明治20年代から村の有志により採石,焼成が始められたが,日露戦争後の明治41年,東亜セメント会社(尼崎)が採掘権を持ち,地元業者の請負いで採石搬出。その後昭和17年浅野セメントに併合。同年年間30万tを採石,従業員は185人を数えたが,大半は臨時工であった。第2次大戦後財閥解体により日本セメントと改名,昭和32年,同42年ともに10年の契約延長をするが,昭和36年の第二室戸台風による被害が大きく,残存鉱石も少なくコスト高となり,同39年より従業員17人に整理,同46年閉山。昭和35年世帯数293・人口1,244。同40年の世帯数276うち漁業68・鉱業32・農業26・建設20・運輸17など。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7403714