庄村(近世)

江戸期~明治22年の村名。牟婁【むろ】郡のうち。荘村とも書く。和歌山藩新宮領明知。太田組に所属。村高は,慶長検地高目録では249石余,ほかに小物成2斗余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに266石余。なお正保3年には263石余であった(那智勝浦町史)。明和~寛政年間ごろの「紀州新宮領分見聞記」によれば,村高250石余,家数32軒(続熊野の史料)。文政元年の郷帳によれば,家数26軒,人数は男101・女105(那智勝浦町史)。豊かな水田地帯で,江戸末期には灌漑用ため池の設置に力を注いだという。村内に小祠1社(続風土記)。寺院は臨済宗宝珠寺。明治4年新宮県を経て和歌山県に所属。同6年には戸数49,男122・女119。同12年東牟婁郡に属し,同22年下太田村の大字となる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7404942 |





