善田(中世)

室町期から見える地名。那賀郡荒川荘のうち。禅田とも書く。初見は応永20年7月30日の見阿弥太郎二郎連署起請文(高野山文書/大日古1-8)に「安養寺三斗六升,センタ」とあり,地内の安養寺がすでに室町期には存在したことがわかる。同32年5月26日の天野社一切経会段米納日記(同前1-4)に「一,安楽川庄内……壱斗九升禅田」と見え,当地が,荒川荘内であったことが知られる。また同年8月日の安楽河荘山郷大検注帳(勧学院文書)に「一,禅田相河口坪」と見え,「禅田谷」「禅田下垣内」とも記される。なお,文禄3年と思われる11月15日の興山上人応其寺領損免覚書(高野山文書/大日古1-3)に「六ツ六分 せん田」と見え,年月日未詳の駿河夫銭算用触状(同前1-5)には「善田」と見える。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7405109 |





