田並村(近代)

明治22年~昭和30年の西牟婁郡の自治体名。田並浦・田並上村が合併して成立。旧村名を継承した2大字を編成。村役場を田並に設置。明治24年には戸数479,男1,038・女1,047,学校1,大船23・小船14。同25年末の勝浦さえら船遭難事件で田並村の行方不明者は35人に達した。同36年田並漁業組合創立。大正元年ハワイからケンケン船とよばれる一本釣り漁法を学んで導入し,紀南ケンケン漁の先駆けをなした。明治中期以降,移民が盛んになり,昭和13年末調べの海外移民者数は556人で,近隣町村で最も多い。主な移民先はハワイ248人・アメリカ合衆国116人(県移民史)。大正7年ごろ電灯架設。昭和15年紀勢西線(国鉄紀勢本線)開通,紀伊田並駅(田並駅)開設。同21年南海大地震の津波により家屋117戸が浸水(県災害史)。明治42年の戸数420・人口2,006。世帯数・人口は大正9年478・1,876,昭和10年476・1,822,同25年559・2,218。昭和30年串本町の一部となり,村制時の2大字は同町の大字に継承。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7405304 |