友淵(近世)

江戸期の地名。伊都【いと】・那賀郡のうち。鞆淵とも書き,「続風土記」には「友淵,古書皆鞆淵と書す」と見える。伊都郡上番村に属する林・久保・清川・日高・鳥淵・南地の各村,伊都郡および那賀郡中番村に属する京石・湯之本・中野・本川・岩滝の各村,那賀郡下番村に属する畑野・大西・和田・高原【たこら】・大善寺の各村を含む地域の総称で,中世の鞆淵荘にあたる地域と考えられる。「元禄郷帳」には伊都・那賀両郡に「友淵」が見え,那賀郡には「友淵〈鞆淵中番・鞆淵下番〉」とある。また「天保郷帳」の上番村・中番村・下番村の各項には「古者友淵(之内)」との注記がされている。村高は3か村合計で,「天保郷帳」1,246石余,「旧高旧領」では1,294石余。「続風土記」によれば,3か村合わせて家数323軒・人数1,259。中番村本川にある友淵荘中の産土神八幡宮では友淵荘宮座が営まれており,上番村・中番村・下番村によって構成されている。友淵荘宮座が中世から行われていたか否かについては未詳であるが,江戸初期のものと推定される鞆淵八幡宮庁座次第(鞆淵八幡神社文書/県史中世1)には,下司としての庄司殿,公文としての林殿のほかに興山寺・氏人中・高野客衆・番頭衆などの座配に関する記述がある。享保年間には宮座内部で争論が起きており,享保12年正月26日の御尋被遊候ケ条口上を以御答申上覚によれば,神事は正月3回,2月・8月・9月・10月各1回,11月2回で,年9回の祭礼が行われ,下司・公文のほか旧荘内の12の地域の代表である番頭12名を中心として,このほか神楽座20軒・禰宜座家17軒・供僧座家18軒によって構成されていたことがわかる(近世宮座の史的研究)。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7405493 |





