100辞書・辞典一括検索

JLogos

16

中村(近世)


 江戸期~明治12年の村名。那賀郡のうち。高野山行人領。麻生津組に所属。村高は,「天保郷帳」では「古者麻生津北脇村之内」と見え78石余,「旧高旧領」では82石余。なお天正19年9月28日付の大津村検地帳(旧麻生津村役場文書/那賀町史)は当村について記したもので村高49石余うち大豆高12石余,元和10年の検地帳(同前)によると,村高79石余うち大豆高21石余,田4町9反余・畑2町5反余,屋敷数28とある。弘化2年の畝側覚(麻生津区有文書)には田方316石7斗側・畑方162石8斗側とあり,収穫高は石高の6倍に近い。天保9年11月の麻生津五ケ村高棟改元帳(旧麻生津村役場文書/那賀町史)によれば,村高82石余から出入作分などを差し引いた賦課基準高87石余で,公事家11軒のほか半役分18人9軒・三ツ棟8人2.66軒・四ツ棟24人6軒・2軒棟引で,計26.66軒分の課税が賦されていたことがわかる。「続風土記」によれば,家数52軒・人数226,神社は麻生津荘産土神の九頭大明神社のほか笠神社・熊野権現社の小祠2社,寺院は真言宗古義薬師寺・釈迦堂がある。なお九頭大明神社の祭祀は公事家がつとめた(麻生津村是/自治之礎)。堺県,五条県を経て明治4年和歌山県に所属。同6年には戸数68,男151・女128。同12年麻生津中村と改称。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7405683