東村(近世)

江戸期~明治22年の村名。有田郡のうち。和歌山藩領知行所。宮原組に所属。村高は,慶長検地高目録では320石余,ほかに小物成2斗余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに377石余。「続風土記」によれば,田畑高377石余,家数59軒・人数268,村内小名は伏谷。傾斜地ではミカン栽培が盛んであった。文政6年には干害がひどく,有田郡全域に騒動が起こり,6月13日ころには当村南方を代官一行が通過している(有田郡大乱実録/県史近世3)。嘉永7年には江戸送り蜜柑が御仕入方支配となり,10月15日ころ騒動が起こったが,12月に至って藩側も勝手方支配に復することを約し,平静に戻った(有田市誌)。産土神は道村の八幡宮。神社は春日明神社・里神社。寺院は臨済宗円満寺。同寺は中世の守護畠山氏の菩提寺で,法灯国師の木像および画像(弘安8年記)や十一面観音の懸仏および立像がある。明治4年和歌山県に所属。同6年には戸数53,男149・女142。同11年の反別は田地17町余・畑地33町3反余・宅地1町8反余(同前)。同22年宮原村の大字となる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7406147 |





