松原村(近世)

江戸期~明治22年の村名。名草【なぐさ】郡のうち。和歌山藩領御蔵所。吉原組に所属。村高は,慶長検地高目録で351石余,ほかに小物成7升余,「天保郷帳」「旧高旧領」とも266石余。江戸後期の吉原組大差出帳(和歌山大学所蔵)によれば,家数28軒・人数150,牛10,池3,松山2。また「続風土記」では家数28軒・人数150。西方に当村ほか江南【えな】村・相坂村・松原村の出作の新出島があり,その高378石余のうち当村分は87石余。小名に柏原がある。同地はもと柏原王子があった地といい,武内宿禰誕生井がある(続風土記)。神社は諏訪明神社。氏神は相坂村の八幡宮という。寺院は浄土宗西山派成福寺。明治4年和歌山県に所属。同6年には戸数31,男65・女70。同22年安原村の大字となる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7406567 |