100辞書・辞典一括検索

JLogos

34

龍神村(近代)


 明治22年~現在の日高郡の自治体名。龍神・小又川・広井原・三ツ又・湯ノ又の5か村が合併して成立。旧村名を継承した5大字を編成。村役場は,はじめ湯ノ又に設置,翌年龍神に移転。明治24年には戸数346,男790・女717,学校2。同42年の戸数343・人口1,894。明治29年の商業従事者は35戸余うち小売20戸余・木賃宿15戸,木賃宿は筏乗りなどの宿泊に使われたという(竜神村誌編さん室資料)。同44年には地内湯本に気象観測所が設置され,観測がはじまる。大正9年の世帯数336・人口1,787,田46町4反余・畑40町3反余,村高659石余,小作地は田9町8反で小作率21.1%,畑2町1反で小作率5.2%であった。また養蚕は同年,作付・見積反別を合わせて4町9反余,春・夏・秋蚕の合計15石5斗,養蚕戸数は昭和6年が110戸でピークとなっており,その後漸次減少している(続日高郡誌)。昭和2年南部【みなべ】町に竜神自動車商会が設立され,南部~広井間に6人乗りの乗合自動車を定期運転,同4年には温泉まで延長される。同5年人口1,773,田47町4反余・畑32町7反余。同22年竜神中学校開校,翌年大熊分校開設。過疎化進行の中で同55年本分校が統合する。昭和25年の世帯数377・人口1,864。同30年の世帯数388・人口1,947(竜神村統計)。同年上山路村・中山路村・下山路村を合併,合併各村の10大字を継承して15大字となる。同35年の世帯数1,828・人口8,269。同40年の森林所有台帳による山林面積および林家戸数は上山路地区5,562ha・322戸,中山路・下山路地区4,813ha・411戸,龍神地区8,093ha・374戸。このうち山林を持たない戸数と所有していても1ha以下の零細所有層は各地区とも30~50%以上を占め,その多くは山林地主のもとで林業労務を行っている(続日高郡誌)。同45年の農業耕地面積313haうち田220ha・樹園地27ha・畑66ha,総農家数1,039戸うち専業農家69戸・林業兼業11戸(世界農林業センサス)。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7407053