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大石(近代)


 明治22年~現在の大字名。はじめ大茅村,昭和27年大成村,同32年からは国府町の大字。明治24年の戸数53・人口263(徴発物件一覧)。産物は近世に引継ぐが,明治中期には養蚕も盛んとなり,夏季に平野部の農耕牛を預り飼育して代償に麦を得ることも行われた。昭和初期には青年らが岩美鉱山(岩美郡小田),ついで上地鉱山に鉱夫として通勤する。昭和40年菅野高原に山地農業振興を目標とする県営菅野開発パイロット事業が開始され,10数戸が参加し養蚕団地・栗栽培などをめざしたが事業不振のため同49年扇ノ山開発に移譲する。昭和30年代から雨滝街道(昭和52年主要地方道鳥取国府岩美線)と結ぶ3kmの町道大石線を近代道路に改修,同30年から鳥取市と結ぶ定期バスの運行もはじまり不便を解消した。しかしその頃から製炭その他の山村農業が不振となったため農業は兼業化し,山間の耕作田にはスギ・ヒノキの植林が盛んとなる。昭和54年の専業農家は3戸という。昭和初期の氏子数44戸(県神社誌)。世帯数・人口は昭和35年37・225,同45年36・186,同53年35・157。大正初期まで大数珠を繰り回す念仏講があったが廃絶し,数珠は当地に伝える。昭和20年代まで辻堂を会場に娘の盆踊りが行われていた。大正末期青年が因幡の傘踊を導入,のち中絶したが昭和50年頃から復活しつつある。冬期に青年が若衆宿に集まり藁仕事などをする風習があったが昭和初期には廃絶した。東部の山間は昭和44年氷ノ山後山那岐山国定公園に指定された。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7407555