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高路(近代)


 明治22年~現在の大字名。はじめ福富村,大正6年東郷村,昭和28年からは鳥取市の大字。明治24年の戸数59・人口374(徴発物件一覧)。江戸期から続いた地場産業の瓦製造は洪水で山野が崩壊し,住家も流失するなどのため,明治35年に中止した。また製紙業は集落内の労力では不足するため,明治末期から大正初期にかけ7~8戸の業者が四国から多数の人々を雇い入れ,原料の三椏も地元20haの供給では足りず他地区から大量に買い入れる程の盛況ぶりであった。しかし機械製紙の普及におされて売行き不振のため廃業が続出,大正中期に廃絶した。明治30年頃,2,000足生産していた高路下駄は1足15銭であった(東郷郷土誌)。明治の末期には,30haの牧場を設け,ブラウン1回雑種の種牛を購入,和牛改良をはかり,畜産奨励に努めたが数年で牧場は閉鎖された(同前・鳥取市七十年)。明治23年,中村・高路両簡易小学校が合併し,有富に福富簡易小学校が置かれた(東郷小学校百年誌)。有富川水系の洪水の被害は大きく,明治26年に死者5人を出し,大正元年9月21~23日の洪水では1名が溺死,1戸が流失,大正7年には分校が流失した(千代川史)。昭和5年6月3日,大火により25世帯・50棟が焼失した。同28年4月28日には14世帯・30棟が全焼となり,2度の大火で村のほとんどが家を失い,人口流出に拍車がかかった(東郷郷土誌)。第2次大戦後,官有造林80ha・共有林30haの植林が進められ,完工記念碑がたてられている。昭和5年の大火で焼失した東郷尋常高等小学校分教場は,同7年に再建され,同32年校舎改造が行われ,簡易水道の設置,地区からのテレビ寄付などがなされてきたが,同39年廃校となった(東郷小学校百年誌)。世帯数・人口は,昭和30年63・359,同40年57・394,同55年54・234。なお県道高路古海線の拡幅改修工事が進み,鳥取市街地への交通の便は良くなっている。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7408310