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助沢(近代)


 明治22年~現在の大字名。はじめ米沢村,昭和28年からは江府町の大字。明治24年の戸数16・人口98(徴発物件一覧)。同32年の民地反別は田8町・畑4町・山林51町・原野201町(日野山桜)。大正15年,郡制廃止により郡道から県道(現主要地方道江府中和用瀬線)に編入となった村沿いの道路は,昭和10年,歩兵第63連隊の蒜山演習場開設に伴い軍用道路として急速に改良が進められた。この道路最大の難所は,宮市と助沢境の苦【にがさこ】峠で,徒歩では急坂の古道を近道し,車馬は迂回しながらもなお急坂の悪路で,同14年には演習行軍の兵士がこの坂道で疲労と日射病で死亡する事故もあった。同25年,助沢・下蚊屋【さがりかや】両大字では,村を動かし,県費140万円の補助を得て,旧道の山下を自力で掘抜きに取りかかり,2年の歳月と工費170万円を費して高さ2m・幅1.5m・長さ200mを貫通,道路を750m短縮して「愛の通学トンネル」と呼ばれて新県道に編入,改良が加えられた。同50年には,これと並行して下り線の「第2苦トンネル」も完成。大正6年,下蚊屋の山口神社へ合祀の助沢神社を同55年地内に遷座。昭和52年,かつての沢村を4.7haの水田に整備した(自然休養村整備事業)。地内俣野川に峡谷の奇勝釜甑【かまこしき】があり,遊歩道が整備されている。計画中の米子~津山間を結ぶ中国横断自動車道は,沢地内から三平山トンネルに入り,岡山県と結ぶ。昭和33年の世帯数18・農業戸数18(江府町史)。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7408736