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高山(近代)


 明治22年~現在の大字名。はじめ中佐治村,明治43年からは佐治村の大字。明治24年の戸数98・人口468(徴発物件一覧)。「佐治村制施行65年抄史」によると,村内を25区に分けた行政組織上の各区区長を議長指名により選出。「淵尻区,長谷弥平次」とあり,淵尻は高山区から独立している。明治43年の戸数87(淵尻を含む),大正9年の世帯数は高山79,淵尻16,昭和21年の世帯数・人口は高山83・455,淵尻22・118。江戸期より続いたといわれる,農家の冬期農間余業として栄えた紙漉は年々減少し,代わって大正2年より工場方式製紙が進み,画仙紙・民芸紙が地場産業として栄えている(郷土シリーズ)。明治44年高山の中谷誠治が約5反程二十世紀梨を栽植,これが佐治村の梨の創始といわれ,昭和13年12月果実組合を設立。今までの養蚕・麻・紙漉などの生産は廃れた。同50年の梨の反別は高山・淵尻合わせて341反と言う(郷土シリーズ)。明治25年創設の高山小学校は,高山神社前にあったが,同44年7月に移転し,昭和50年3月の全村1校統合による廃校まで続いた(佐治第二小学校100年誌)。昭和40年12月起工,同47年完成の農免農道(佐治村福園・河原【かわはら】町神馬)の敷設は同地区の日常生活・農業生産に画期的改革をもたらした。昭和35年の高山の世帯数87・人口445,農家数70・農業従事者194,耕地は水田250反・畑110反・果樹園194反,牛の飼育44頭,淵尻の世帯数20・人口102,農家数20・農業従事者32,耕地の水田32反・畑39反・果樹園17反,牛の飼育は7頭であった。同44年の葉タバコ耕作は208.9a。昭和50年の高山の世帯数80・人口356,農家数64・農業従事者122,耕地は水田205反・果樹園324反,淵尻の世帯数21・人口78,農家数15・農業従事者10となり耕地は水田18反・果樹園17反。農家の主幹作物は二十世紀梨となり,機械化の導入も進んだ。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7408851