智頭(近代)

明治22年~現在の大字名。はじめ智頭村,大正3年からは智頭町の大字。明治24年の戸数269・人口1,585,水車1(徴発物件一覧)。大正10年の戸数456。人口は,昭和30年3,923,同40年4,009,同50年3,741。材木の運搬は,芦津奥から筏を智頭まで出し袋川をさかのぼって鳥取市材木町へつないだという。明治以来大正8,9年までの乗物は鳥取通いの馬車で,関屋の厳頭を回ると御者はラッパを吹き鳴らした。大正4年智頭実業補習学校夜間部を開設し出張授業を行った。同5年智頭小学校講堂に御真影奉安所を置く。同年智頭林産合資会社を創立。同7年国鉄智頭線(鳥取~用瀬間)開通,山陰唯一の智頭森林測候所を烏ケ城址に設置。同年大洪水のため備前橋・智頭橋が流失した。同10年電話が開通。同11年諏訪幼稚園を設立し,同12年の保育園終了の人数は男29・女14。同12年国鉄智頭線(鳥取~智頭間)全通,のち廃止となる。昭和3年智頭小学校に託児所を開設。同12年智頭警察署を落成。同13年町軍事援護相談所開設・智頭実業専修学校開設(現智頭農林高校)・智頭保健所を設置。同17年八頭地方事務所を開設,同年町貯水場を設置。同18年町農業会が発足。同19年統制会社として鳥取地方木材株式会社を設立し智頭支店を設置。同20年役場庁舎を移転。同21年町青年団を発足。同22年智頭中学校を開校(学級数7・生徒数282・教員9)。同28年智頭電報電話局を開局,杉神社を建立。同34年智頭駅前の大火により32棟を焼失,死者1名が出たため新鋭消防車1台を購入した。同40年町老人クラブを結成。同41年智頭農業気象観測所を設置。同42年学校給食センターを設置。同46年牛臥山林道が開通。同47年町民武道館を竣工。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7408946 |





