中田(近代)

明治22年~現在の大字名。はじめ富沢村,昭和11年からは智頭町の大字。明治24年の戸数20・人口109(徴発物件一覧)。道路は明治20年代に富沢谷~物見峠越津山線が整備・拡張され開通。大正11年電灯が点灯。大正10年の戸数26。昭和9年室戸台風により大洪水に襲われ田畑流失,土砂流木の混入,道路・堤防の決壊など大きな被害を受けた。産物は大豆・小豆などの豆類,大麻・ミツマタ・薪・桑葉・繭など。同32年営林署中田苗畑事業所が完成。従来より稲作を中心とするが,同46年の減反以後は野菜・大豆・小豆・ハト麦・ハブ草などを栽培。昭和42年の世帯数27。昭和26年にはバスが開通。同30年の世帯数27・人口149。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7409209 |





