中野(近代)

明治22年~現在の大字名。はじめ北谷村,昭和28年からは倉吉市の大字。明治24年の戸数29・人口137(徴発物件一覧)。福富尋常小学校が北谷尋常小学校に改められ沢谷に移転した明治34年に中野分教場は廃止。同42年には正応庵を正応寺と改称。中野神社は大正5年に,大字森の山長神社に合祀。農業は稲作と養蚕を中心にしていたが,昭和30年の農家数29,農家1戸当たり耕地75a。同39~40年には水田の土地改良事業を実施し,さらに,南方台地上には梨園の団地を造成,近くには養豚団地もある。農業は梨・タバコ・スイカ・メロンと作物が多様化し,養豚やシイタケ栽培も行われる。世帯数・人口は,昭和30年29・179,同40年29・142,同50年27・106。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7409231 |





