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長柄(近代)


 明治22年~現在の大字名。はじめ吉岡村,昭和28年からは鳥取市の大字。明治24年の戸数31・人口164(徴発物件一覧)。同26年の村勢は,民業は農業27戸・商業3戸・大工1戸・木挽1戸,人口129(男70・女59)。地租は米73石1斗7升余・金325円63銭8厘。田21町8反21歩・畑2町5反2畝21歩・宅地1町2反7畝28歩・山林17町6反1畝19歩・原野6町8反18歩,牛15(牡5・牝10)。神社は長柄神社で祭神は猿田彦命(吉岡郷土史)。同40年,吉岡の楠田正吉は「楠田織布工場」を設置,水力を利用して生産に当たった(鳥取市七十年)。同42年農家の協同化により,水害からの立ち直りを図り,産業に必要な資金の貸付および貯蓄の便を図るため「無限責任長柄報徳信用組合」が設立。大正8年には区域を吉岡村へと拡大し妙徳寺・吉岡・瀬田蔵が加入。さらに昭和6年金融事業のほかに購買・販売事業を開始した。大正6年長柄農事改良組合が生産・販売・購買利用の共同化を目的として結成された。昭和11年長柄報徳信用組合は,発展的解散を決議し,新たに吉岡村産業組合に加入した。農事改良組合は共同化に力を入れ,共同田植,畳表の生産(製莚機20台により冬の農間期の婦人の副業),共同作業場の設置(大正13年頃),水田除草機10台・サイロ1基・ゴミ焼場(自給肥料増産のため)・煉炭製造機1台などを整え,異色ある先進的な農村づくりが進展していった。昭和3年長柄農事改良組合は農林省より表彰され,共同田植をはじめ各種事業が「協力の恵み」として映画化され,全国各地からも視察に訪れるなど,多くの賞賛を受けた(湖南誌・長柄組合史)。旧村社長柄神社は地内宮ノ下にあり,祭神は,長永大明神・猿田彦大神。明治元年徳丸水神(祭神罔象女命)・稲荷大明神(保食命)を長柄神社へ合祀し,荒神(素戔之男命)・若宮(天押雲命)・伊勢宮(天照大神)を廃止した。さらに大正2年祭神猿田彦命・罔象女命を吉岡神社へ合祀したが,昭和24年再び長柄神社へ帰社となる(吉岡郷土史)。世帯数・人口は,昭和6年30・176,同24年30・186,同30年31・203,同40年31・168,同50年31・147。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7409262