新見(近代)

明治22年~現在の大字名。はじめ富沢村,昭和11年からは智頭町の大字。明治24年の戸数49・人口252(徴発物件一覧)。同26年富沢村役場を地内に設置。同27年巡査派出所を設置。大正7年当地方を襲った大洪水により橋梁の流失,田畑に土砂が流入するなど大きな被害を受けた。同8年富沢小学校が火災により焼失,同9年新校舎を再建。同10年富沢神社神官,坂出邦治は私立坂出裁縫学校を宅地内に創立,修身・国語・家事・裁縫・技芸の5教科を設けた。産物は大麻・桑葉・繭・木炭・ミツマタ・養蚕などがある。同年の戸数54。電灯は憲政・政友の両派による抗争があったが,大正末期に点灯された。昭和28年富沢小水力発電所を設置。同32年簡易水道が完成。道路は,明治20年代富沢谷から物見峠を経て津山に至る全線が整備改修され津山線が開通,第2次大戦後昭和26年から35年にかけて全線開通。従来より稲作を中心としてきたが,米の減反後は大豆・野菜・リンドウなどを栽培。また戦後は二十世紀梨を中心とした果樹なども栽培。林業は従来の農業が構造的な変化をなして,堆肥・採草などのかわりにスギ・ヒノキなどを植林し林業面積は増大している。昭和55年富沢地区公民館を建設。世帯数・人口は,昭和30年60・337,同40年62・284,同50年62・222。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7409301 |





