西園(近代)

明治22年~現在の大字名。はじめ瑞穂村,大正6年大誠村,昭和30年からは大栄町の大字。明治24年の戸数113・人口487,船10(徴発物件一覧)。西園神社は大正5年東園神社に合祀されたが,昭和21年に独立して建速神社と改称。大正末期から砂鉄採取が再び始まり一時活況を呈したが,昭和20年に廃止された。第2次大戦後の農地改革で自作農が増加して砂丘畑の大規模農法を秋山照一が導入し,それ以来集団農法に転換した。全国で品質の優秀性を誇る砂丘ナガイモや大栄スイカ・タバコ・ラッキョウは,京阪神をはじめ九州方面に出荷されている。稲作は米の生産調整で上田の大半が荒地と化している。世帯数・人口は,昭和30年125・657,同40年132・648,同50年143・626,また農家数は昭和35年111,同55年103と減少しており,これは米作中心農家の転業によるものである。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7409326 |





