洞谷(近代)

明治22年~現在の大字名。はじめ吉岡村,昭和28年からは鳥取市の大字。明治24年の戸数30・人口193(徴発物件一覧)。同26年の村勢は次の通りである。物産はハゼの実250貫・サトイモ5石・薪6,500貫,民業は農業28戸・大工1戸・商業3。戸数33(民家32・社1),人口152(男82・女70),地租は米45石8斗6升余・金204円10銭3厘,田17町8反1畝5歩・畑2町5反8畝24歩・宅地1町2畝22歩・山林74町8反2畝・原野19町1反9畝24歩,牛15(牡5・牝10),学校は洞谷小学校(生徒8人)。洞谷城址が大坂山の内にあり,吉岡将監砦の跡という。そのほか破れ堂がある(吉岡郷土史)。因伯牛の増成組合をつくり,名声のある蔓【つる】牛の改良育成に努めてきた。竹内義治は「おぐら系牛」といわれる因幡和牛優秀系改良に成功し,当地方の特産とした(鳥取市七十年)。昭和2~5年に道路改修を行い吉岡洞谷線は1.3mから4mに拡幅され,妙義橋・本谷橋などが架替えられた。同39年には洞谷~鹿野間が県道として開通,定期バスが通うようになった(湖南誌)。洞谷神社は西谷にあり,素盞嗚命を祀り,祭日は9月28日。大正2年矢矯神社に合祀されたが昭和24年再び現位置に復帰した(吉岡郷土史)。昭和15年破堂は,尾木原氏の後裔といわれる八頭【やず】郡河原町の荻原史治により,神社として建て直された。世帯数・人口は,昭和6年25・154,同24年27・137,同30年26・138,同40年24・128,同50年28・104。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7409826 |





