明高(近代)
明治22年~現在の大字名。はじめ山守村,昭和28年からは関金町の大字。明治24年の戸数50・人口269,水車2(徴発物件一覧)。同30年頃戸数48,平均耕作面積7反となる。第2次大戦後,開拓団が奥真野原に入植。昭和40年の世帯数73・人口325,農家数64。昭和8年地内に山守村営発電所が建設され,現在は中国電力山守発電所として存続している。同30年バスが運行。同47年県道如来原倉吉線バイパスが完成。
 | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7410049 |