本高(近代)

明治22年~現在の大字名。はじめ東郷村,昭和28年からは鳥取市の大字。明治24年の戸数44・人口282,船2(徴発物件一覧)。鳥取・鹿野を結ぶ鹿野往来(伯耆【ほうき】中道)の要地で,当地の上を右折し,立見峠を越え西方の野坂谷へ達した。同25年当地の立見口に巡査駐在所が設置された。明治40年代,人形造り中尾常五郎を座長とする人形芝居があり近郷集落に出張公演した。この常五郎の作った人形は各地の人形座に愛用された(東郷郷土誌)。秋の台風などによる有富川氾濫はしばしば当地を襲い被害は大きかった。昭和9年9月の風水害の際,当地の被害は死者1・家屋倒壊1(千代川史)。同18年,鳥取大地震による被害は,死者3,家屋全壊3・半壊16と,東郷村内で最大の被害となった(鳥取市七十年)。大正4年耕地整理組合を設け,同5年水田の基盤整備を完工し,白木山麓に用水路をつくり,服部地内の瀬戸川の排水を動力で引き入れることにより旱魃の被害はなくなった。一方排水が悪かったので,昭和34~36年土地改良区を設置し,50haの暗渠排水事業を完成した(東郷郷土誌)。昭和31年東郷簡易郵便局が地内に移転した。世帯数・人口は,昭和30年61・326,同40年63・315,同50年61・278。昭和46年の農業専従者は62人で,老人・婦人が中心である(東郷郷土誌)。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7410100 |





